7月25日 渋谷ツタヤまで行って、仲井戸麗市の「CHABO」を借りる
・昨晩、変な体験したり、色々思いついたりして、3時間くらいしか眠れず。
・バイトの時間を少し増やしてもらうよう、マネジャーに頼む。
・渋谷ツタヤまで行って、仲井戸麗市の「CHABO」借りる。これ、凄い。
昨日布団の上で、ふと、お金に対する考え方を変えることを思いつく。
文字通り降ってわいたような発想。
貯金2割、8割使う。8割をいかに効率的に使うか、それを考えるべき。
その後眠れず、横になったり起きたり、電気消したりつけたり繰り返していて、ふと、自分がここ立っていることを感じた。
自分の胸から下の肉体が見える。それはいつも通り。
でも、なんというか、それは自分ではなく、一人の男がいる、そんな風に強烈に感じた。
でかっ、と思った。成人男性が部屋に一人いるというのは、すごい存在感だ。
プレイヤーでかけてみて、ぶっ飛んだ。
これ、凄まじい。
どんな好きなアーティストでも、自分の場合、アルバムを中断しないで最後まで聴くってことは、ほぼない。
それが、耳を離せなかった。
もんげーブルースである。泣き叫びだ。
言葉では言い表せない、生の感触、悲しみが伝わってきた。
7月24日 墨入りの若者にビビる
・上下赤の服を着た、墨入りの若者にビビる。
・昼、軽くジョギング。適度な暖かさで気持ちいい。
・飲み会の日時アンケートのメール・LINEを送信。
昨晩、母親が父親と喧嘩して、1階に降りて寝ていた。
そんなでも、翌朝2人でドライブに出かけていった。
仲直りはしていないので、雰囲気悪いまま半日過ごしたらしい。それもすごいな。
今日は道場に行かないと決めていたので、スパッと起きられた気がする。
やっぱ、「起きれたら行く」という愚行の害は大きい。
しかし、今日は北海道でも震度4、さらに伊豆で10回以上の群発地震が起きており、なんだか気が落ち着かない。
暑すぎず良い天気なので、軽くジョギング。
やはり、ほとんど走れない。
まぁ、弱っていることは間違いないが、休日の午前中に起きて、走りに行ける程度には、回復しているということで。
UFCやら大相撲やらを見てから、街にぶらっと出かける。
かなり古い版で、文字が小さいのが気になるけどまぁいいか、と購入したが、その後喫茶店のやや薄暗いライトの下で読むと、目が疲れることが判明。
次から小さい字の本は避けるようにしよう。
帰り道中、明るい髪の毛に上下赤のTシャツ・短パンの小柄な若者が、前をチャリでふらふら漕いでいる。
芸人のカズレーザーみたいだなあ、と思ったが、なんとなく後姿の雰囲気というか、佇まいというか、彼を見ていると異様な怖さを感じた。
しばらくして、上下赤が後ろに腕を回して背中を掻いた時、めくれたシャツの中から、ごつい入れ墨が覗けた。
今時のおしゃれなタトゥーというより、ビッシリ入った極道のそれだったと思う。
それを見た自分は完全にビビっちゃったので、別の道を迂回することにした。
自分の勘の良さに感心しつつも、ただ後ろを走ることもできない自分の臆病さを改めて認識する。
情けないが、昔から肝が極端に小さいのだ。
しかし、まずは自分の小ささをしっかり理解しておくことが大事なのだ。
気の小さい男にありがちな、その場を離れると気が大きくなって、「俺はやる時はやるけどね!」みたいに虚栄を張り出すのが、一番怖いしダサイから。
虚栄というか、安全圏にいると本当にそう思っちゃうんだよね、これが…
今の生活と、少し先の将来と、自分の余生と死についてしばしば考える。
一見同じパターンの繰り返しに感じる生活も、少しずつ確実に変化している。
これから一体、何に希望を見出して生きていこうか?
まるで見当もつかない。
まぁ、なるようにしかならないわけで、この身も遅かれ早かれ天命に導かれて、自分の長所を生かし、何らかの形で世の中にコミットするようになるだろう。
そして、いずれ天に召されるのだ。
7月20~23日の三行日記|沖縄・高江で起きていることを知り、衝撃を受ける
7月23日
・LINE・メールのもろもろ連絡。
・溝の口のほうまでチャリでぶらつく。
・沖縄・高江で起きていることを知り、衝撃を受ける。
7月22日
・朝、出社してから自転車の鍵を抜いてなかったことに気付く。(結果ことなきを得た)
・新橋駅まで、角があるたびに曲がるマイルールを作ってジグザグに歩いてみる。ジャストで到着。
・去年の就労訓練仲間に、集まりの誘いをLINE・メールで送る。
7月21日
・朝、駅まで歩きながら、「最強のフロントエンジニアになる」という台詞が浮かぶ。
・バイト終わり、ドトールでアイスコーヒーを飲みながら、再来月転勤する同輩に集まりの日程についてLINE送る。
・駅からの徒歩、山を経由して帰る。神社の猫がにゃあと鳴いて足に体を摺り寄せる。
7月20日
・バイト終わり、田町散策。慶応大学をぐるっと。
・大崎で電車遅延、15分待って満員電車に乗る羽目に。
・電車を待つ間に、「色彩をもたない多崎つくる」を立ったまま読み終える。
7月19日 田町の逆サイド
・仕事中、震度2の地震にビビる。
・その後、田町まで歩く。
バイト終わり、心身ヘトヘトになってしまい、気分転換にドトールに入る。
その後、田町まで適当に歩く。かなり気分が晴れてきた。
日中の暑さが和らいで、心地よい風が吹く。
空を見ると、雲の合間からオーロラのように光が射しこんでいる。神秘的な美しさだ。
色合いも含めて、こんな空は生まれて初めて見たような気になる。
そうして空を眺めていると、懐かしい学生時代にタイムスリップした感覚に陥る。
今、自分がどこにいるのかわからなくなる。いくつもの時間軸が混同する感覚。
また、一つ前に進む予感がした。それは、良いこともあれば、思いがけないことも含む変化だが、前進という意味では疑いなく正しい変化。
ただし、変化には時間がかかるだろう。日々目の前にあるような時間軸で、人生は進んでいかないということ。
ただ焦りだけが不要なものだ。
信じていれば、焦る必要がなくなり、今の状況から悩みや苦痛が消える。
田町駅に着いて、見覚えのある駅前の景色にはっとする。
田町駅というと、海側のビジネス街のイメージしかなかった。
就活していたとき、大手IT企業の選考で行った記憶だけがあった。
しかし、駅の逆側は、カフェなどのお店が多く、学生街でもある場所だった。そう、大学生のころ、彼女と品川から歩いたところだ。
裏路地を歩いて、ラーメン屋に入ったのを覚えている。
品川から歩いて行って、こんな感じの街並みがあるんだ、良いところだね、という話をした。
そうだ、田町の裏側はこの景色だった。
ドライなばかりと思っていた人の、もう一つの顔を見た時のような、ほんの少し救われた気持ちになった。
膨大な情報を瞬間瞬間で通過する日々
風呂上り、座布団に尻を乗っけて小説を読んでいて、ふと
自分たちは、なんて膨大な情報を日々得ているのだろう。
と思った。
小説ならば、主人公の行動、相手の言動、それに対する心の動き、音、ニオイ、触感、痛み、あらゆる情報を組み立ててストーリーが形作られ、読者それを追体験する。
その物語は、登場人物にとっては数日であっても、書籍としては数百ページに上ることも珍しくない。
書くということは、どこをどれだけ捨てるかということであって、その背景には文章化しきれない膨大な文脈と情景と感覚が存在しているわけだ。
(逆に切り捨てる塩梅によっては、一生を1ページに要約することもできるわけだが。)
それを考えた時、実際の生活においては、その文章化しきれない膨大な情報を瞬間瞬間通過しているという事実に、改めて慄然とした。
7月17日 午後まで惰眠、地震で飛び起きる
・午後まで惰眠、地震で飛び起きる。
・ジョギングというかウォーキング、40分くらい。
・整体2回目。
今日は、朝起きれたら道場に顔を出そうと思っていたが、
昨晩情緒不安定で明け方まで眠れず、午後まで寝続ける有様。
午後の地震で飛び起き、パニクる。心臓ばっくばく。
震度4はあると思ったが、このあたりは震度2~3だった。
寝過ぎのせいかわからないが、猛烈に怠い。
顔を洗って、ジョギングに出る。
身体が重く、ほとんど走れない。
それでも土手に出て川と空を眺めていると、にわかに気分がすっきりしていく。
読書のために、土手に行くという選択肢も良いかも。と思った。
やっぱりジョギングは良い。
散歩しても汗はけっこうかくけれど、この、老廃物が外に出ていく感じは走ったときにしか得られない。
その意味で、何時間歩いてもジョギングの代替にはならないなあと思った。
整体2回目。
腎臓が疲れているとのこと。
内蔵の施術を行うと、だいぶ身体が軽くなる。鏡を見た時、顔のむくみが取れてスッキリしている。
首の痛みについて、正しく伝えられなかったのは反省①。率直に言ったほうが良い。
あと、次回の予約を、朝で承諾してしまったのも反省。
OKじゃないのについ承諾してしまう癖は、意識して治そうか。