深見東州という藤岡弘風のおじさん

深見東州という藤岡弘風のおじさんの広告を見たことがあるだろうか。 大体「強運」という極太フォントの啓発本か何かの広告で、まぁ雰囲気的にそっち系のアレかなと、冷めた目でいつも眺めていた。 しかし先日電車に乗っていると、その深見東州氏が10種類く…

この相談を続けることが果たしていいことなのか

バイト帰りに、数年来お世話になっているNPOの面談にいく。 この相談を続けることが、果たしていいことなのか、という話になった。 NPOの目的は、無業状態・ひきこもりや不登校といった若者の社会復帰を支援することで、5年前わたしが文字通りにっちもさっち…

清廉でないものは排除するという大きな流れ

清廉でないものは排除するという、大きな流れを感じる。自分だけではない筈だ。 そして、その勢いは加速している。 もしもこのまま増幅すれば、ファシズムになるだろう。 とはいえ、史上類を見ない情報の乱反射の時代だから、またどこかで違った転換点を迎え…

カテゴリ分けは事後的に

今時のブログで、カテゴリ分類は極めて基本的な機能だ。 しかし、ブログを続けていくうちに、書く前に「この内容はどのカテゴリかな?」と考えるようになってしまう。 これはちょっとした罠と思う。 書いている最中や草案の段階で、カテゴライズという発想を…

昔描いたマンガを少しずつ捨てる

昔描いたマンガを少しずつ捨てる。 見返すと、変な汗をかくほど恥ずかしい。 しかし、数年隔てて見てみると、悪くはないな、と感じてしまった。 少なくともその時、気持ちを込めて描いていたものだとわかる。 そう思ったら、捨てられなくなった。 このマンガ…

左へ受け流す

たまにツイッターとか覗いて、負のオーラが充満したツイートとその連鎖を目にすると、ひどく疲弊する。 さっき見たのは、某みのさんへの心無いリプライ。 自分もあまり好きな人ではなかったが、高齢の人によくあんな虐めみたいなことができるなあ。 目にする…

ブログの目的は、日記のサンドボックス

知人には見せないブログを書こうと思った。 ツイッターとかブログとか色々やってるけど、それで知り合いになった人とか、元々知り合いの人とか、これを書いたら見た人がどう思うかな?とかためらってしまって、ようは自意識過剰が出張りすぎていて、でも人格…

海沿いの公園で海を眺める

2016年5月28日 横浜駅を下車して、海沿いの公園で海を眺める。 暑すぎず、風もなく、好い天気。 今朝、クリミア戦争とメディアの扇動を特集したNHKのドキュメンタリーを観た。 人は、同時に複数の相手と戦うことはできない。 何かを敵だと認識するということ…