速度のラットレース
とても危険な考えを見た。
その考えが自分を支配しようとしたとき、早めに気付いて受け流せるように、そのために文章化し、ラベルを貼る。
「速度のラットレース」
世の中の速度というものがある
何歳で小学校、何歳で高校、20代前半までには自立、30には社会経験も身について、働き盛り、40からは管理的立場・・・
我が身を振り返ると、遠くに置いてけぼりを食らっている
ただでさえ遅れをとっているのだから、もっと必死に走らないといけない
さもないと、世間から総攻撃を食らう
私はそれが恐ろしい
無職の一番の怖さは、周りが時速50キロで走っている中、自分だけエンストで一歩も進んでいない感覚
なんとかアルバイトで働くと、一応社会に溶け込めた感じはするが、自分よりも年下の人間が自分の先を走っていて、自分は遅れているのに半分の速さで走っている
その先に希望は見えないが、走るのを止めたら今よりも数倍の仕打ちを受けることになる、私はそれが恐ろしい、恐ろしいからとにかく走る
ストップ。一旦止まってみよう
この「速度」という虚像は、一部の人にとっては、現実かもしれないが、それ以外の人にとっては、存在しない振り子だ
あなたが「速度」に捕らえられているのはわかる。だからそれは少なくともあなたにとっては真実だろう
しかし、その「速度」のラットレースの先に、光は見えますか?
光が見えないなら、そのレースに乗ることに、意味はないです
だって勝っても負けても、そこにあるのは疲弊と終わらない競争だもの
一見レースに成功したように見える人たちがいる。
仕事がうまくいっている人
たくさん稼いでいる人
仕事に生きがいを見出した人
人生をエンジョイしている人
家庭の幸福を手に入れた人・・・
彼ら勝者・成功者は、実のところ「速度」のラットレースに勝ったのではなく、降りたのである。
この意味わかりますか?
もう一つ、大事な事実があります。
あなたが考えて苦しくなることを、反芻して考えれば考えるほど、当たり前のことながらどんどん苦しくなります。どんどん苦しくなると、当たり前ですが人生はうまくいきません。
あなたが考えて楽しいことを、考えれば考えるほど、見つけるほど、当たり前のことながらどんどん楽しくなります。どんどん楽しくなると、どんどん元気になります。元気ってことが幸せってことです。
超シンプルです。
ついでに言うと、元気になって幸せの中に生きていると、次に考えるのは、他者や世の中への貢献です。
この時点で、もう速度のラットレースに乗っていないことがわかるでしょう。
その地点を思い描いてください。見つめてください。
あとはなすがまま、人生というお笑いフィールドで適当に翻弄されたらいいんじゃないかね。どうせいずれ死ぬし。