膨大な情報を瞬間瞬間で通過する日々

風呂上り、座布団に尻を乗っけて小説を読んでいて、ふと

自分たちは、なんて膨大な情報を日々得ているのだろう。

と思った。

 

小説ならば、主人公の行動、相手の言動、それに対する心の動き、音、ニオイ、触感、痛み、あらゆる情報を組み立ててストーリーが形作られ、読者それを追体験する。

その物語は、登場人物にとっては数日であっても、書籍としては数百ページに上ることも珍しくない。

書くということは、どこをどれだけ捨てるかということであって、その背景には文章化しきれない膨大な文脈と情景と感覚が存在しているわけだ。

(逆に切り捨てる塩梅によっては、一生を1ページに要約することもできるわけだが。)

 

それを考えた時、実際の生活においては、その文章化しきれない膨大な情報を瞬間瞬間通過しているという事実に、改めて慄然とした。